吉田兼好「徒然草」を読む

「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ」という書き出しが有名ですが、「硯」の部分を「パソコン」に入れ替えれば、そのままこのブログのことかもしれません

さて、中学生(高校生だったかも)になって初めて古文を勉強したときに、読んでいて一番面白いと思ったのが吉田兼好の徒然草でした

久しぶりに読んでみたところ「あれ?こんなに説教臭い話だったっけ?」と思ってしまい、子供の頃に抱いたような感想はわきませんでした

なんか言っていることが時代遅れな感じが否めないんですよね…

鎌倉時代末期の著作なので時代遅れなのは当たり前なのですが…

ただ徒然草を貫く無常観の考え方は現代でも通じるものがあります

どうせみんな死ぬんだし、そんなにあくせく世をむさぼってもしょうがないよね、ということです

春の日の雪仏

人間の営みって、雪で作った仏を金銀で飾ったり、お堂を立てたりするのに似ているよね、ということが書かれています

春になれば雪仏は溶けてなくなるのに、時が経てば人生も消えてなくなるのに、意味なくない?あぁ無常観、ということです

通い婚が至高

昔SMAPの草彅剛さんが何かのインタビューで「結婚しても付き合ったあの頃のような新鮮な気持ちを忘れたくないですね」という趣旨の回答をしていて、うちの母親が「けっ!そんなの無理に決まってんだろ!夢みたいなことを言ってんじゃないよ!」と毒づいていたのを思い出したのですが、徒然草でも吉田兼好さんが「新鮮な気持ちを維持したいなら通い婚しかない」と言っておられます

これは鎌倉時代から変わらぬ男と女の真理なのかもしれません〆

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