瀬戸内寂聴「寂聴 九十七歳の遺言」を読む

先日、瀬戸内寂聴さんの小説「花芯」を読みましたが、せっかくの機会なのでエッセイも読んでみようということで「寂聴 九十七歳の遺言」も読みました

タイトルのとおり、九十七歳になった瀬戸内寂聴さんが思うことをつらつらと語ったエッセイです

寂聴さんの人生のテーマは「愛」だったということが良く理解できました

本書の感想

生きることは愛すること

寂聴さん曰く「生きることは愛すること」「人間は愛のために生きている」とのことです

普段仕事ばかりしていると「愛のために生きている」という実感が感じられないですが、仕事人生は年を取って振り返ったときに後悔が残りそうで怖いと思いました

仕事を社会の中で果たす機能と考えた場合、仕事で評価されるということは、その機能を評価されることであって、その機能が果たせなくなれば捨てられるという運命にあります

そして人間年は取ればとるほど、その機能を満足に果たせなくなっていくわけで、そうなったときに辛い思いをしないように、しっかりと若い頃から愛の関係を育んだ方が良いということですかね

愛のベクトルは機能ではなくて、個人に向けられるので、それが人間としての満足感につながるのだと思いました

とここまで書いて、これはどちらかというと「愛される」に視点を置いた考え方なので、「愛す」という視点でもよく考える必要があります

愛は見返りを求めないはずなので、一方通行でも成立しなければなりませんが、個人的には死の間際になって思い返されるのは「愛し、愛された記憶」なのではないかと思いました(「あの人を愛した」という一方方向の思い出だけで、心が慰められるかというと、ちょっと想像が難しいです)

孤独が理解できる年齢

人間はどこまで行っても一人です

生まれるときも一人、死ぬときも一人、普段は社会の中で孤独を紛らわしていますが、その孤独が身にしみてわかる年齢は、寂聴さん曰く90歳を過ぎてからとのことです

これは逆に考えると、多くの人が本当の孤独を感じることなくあの世に旅立つので、それはそれで幸せな気もしましたが、90歳を過ぎてからの本気の孤独モードが恐ろしい、と思わされる発言です

寂聴の意味

「寂聴(じゃくちょう)」ってかっこいい名前だな、と昔から思っていました

本書で名前の経緯が記載されていますが、今東光(こんとうこう)さんという寂聴さんと同じく小説家から出家した僧侶に命名してもらったそうです

意味としては以下のとおり

  • 寂:煩悩の炎を鎮めた静かな状態(心が穏やかに定まっている状態)
  • 聴:「梵音(ぼんおん、仏の声や読経の声等)を聴く」「森羅万象(小川の流れる音、松風の音、赤ん坊の泣き声、恋人同士の愛のささやき等)の音を聴く」

自分もそうありたいと思える良い名前です

なお、今東光さんの僧名は春聴(しゅんちょう)です(寂聴と対になっているんですかね)

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