Tommy Emmanuel(トミーエマニュエル)のインタビュー記事(2003年)の翻訳です
記事の元ネタは以下です
2003年なのでアルバム”Only”をリリースした後、アルバム”Endless Road”をリリースする前のインタビューです
Tommyのライブに対する姿勢等が語られています
以下、翻訳です(英語の原文は非常に読みにくかったです。なお、MFはMusic Friskの略)
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MF:最新のアルバム”Only”はSteve Vaiの新しいレーベルFavored Nations Acousticからリリースし、現在も関係を維持しているそうですね。これからの音楽の方向性についてどのように考えていますか?
Tommy:より良い曲、より素晴らしい曲を書こうと努力しています。自分が始めたことをより高いレベルに持っていきたい。前作より前のアルバムはすべてバンド編成で録っており、大きなプロダクションからリリースしていました。そこで、今自分が進んでいる方向性を追求したいと思うようになったのです。ソロで演奏するということです。それでも結局パーカションやセカンド・ギターが欲しいことはあります。必要な場合もわかっています。ソロでは上手くできないもののひとつにスウィング音楽があります。
MF:昨夜のセットリストがないライブに感銘を受けました。自然発生的な雰囲気やお客さんのリクエストに答える感じが良かったです。ライブのコンセプトについて教えてください。
Tommy:リハーサルが必要な状況のときにだけセットリストは用意します。照明やステージスタッフの動きが重要で、バンドメンバーが次に何が起こるか把握しておく必要がある場合やみんなで良い芸術として作り上げる場合ですね。そういう制限がある場合は、いわゆる自然発生的な要素を大切にするために即興の時間を設けます。ソロで仕事をするときは、毎晩違うことをします。これは重要なことです。なぜなら、ショーに何回も来てくれている人がいることを私は知っているからです。なので、いろいろなスタイルで、いろいろな曲を弾きます。古い曲や新しい曲を織り交ぜて試したいと思いますし、新曲の試運転をすることもあります。ステージがどのようになるかわからないので、セットリストを用意してステージに出ることはありません。今夜の盛り上がりが昨夜の2倍になるかもしれません。昨夜はテンポの速い曲から始めましたが、今夜はゆっくりとしたテンポの曲から始めるかもしれません。それは私が何を感じているかに拠ります。しかし、私はいつでもショーを成立させようとしています。ショーは食事のようでなければならないと思っています。前菜があって、メインディッシュ、デザート、コーヒーがあるということです。これがライブで起こっていることです。私は聴衆を楽しませ、彼らの感情をかき混ぜようと努力します。日常を離れて、良い時間を過ごしてもらいたいと思っています。そして同時に、私は自分のやりたい演奏に忠実です。即興の時間を充分確保しますし、お客さんの反応を試したり、敢えて危険を冒したりして、自分がどこまでやれるか確認しています。
MF:アリススプリングスでの幼少期に乗り越えた困難と、それらが音楽に与えた影響について教えてください。
Tommy:幼少期はアリススプリングスだけで過ごしたわけではありません。一度の滞在期間は3ヶ月以内だったと思います。殆ど巡業に出ていました。乗り越えてきた困難についてはあまり知られていませんが、ゼロから観客を作っていくことだったり、ショービジネスの世界で生きるために静かな郊外での生活を捨てることだったり、文字通り2週間の間にテレビやラジオに出ようと躍起になったり、今の状況から抜け出してキャリアを積もうとしたりしたことでした。私は幼かったのであまり気づいていませんでしたが、父と母はいつも売り込みをかけていました。父はとても若くして亡くなりました。ちょうど50歳の誕生日の直前でした。父は私たちが人前に立つ前に、できることはすべてしてくれました。他の困難としては、もちろん、私たちが子供だったということがあります。他のバンドがいるショーで、子供が上手に演奏するということは、大人たちにとって居心地の良いものではありません。私たちが現れ、観客を熱狂させると、多くの大人たちがまるで見世物小屋か何かのように見下した態度を私たちに取りました。しかし、実際、私たちは良い演奏をしていました。それが気に入らなかったのだと思います。親切な人がいた一方で、彼らは無知な人でもあり、それは面白いことでした。知りたいことがあるときに、彼らはこうするんだよ、と云いました。本当に必要としている助けを得ることはできませんでした。それは本当に無知のなせる技でした。独学で、楽譜が読めなくて、全てを耳で聴いて演奏しているということは、それ自体が勉強でもありました。
MF:楽譜が読めないことについて、昨夜のSteveとJonhhieのWGNラジオで今までそれで困ったことがないと云っていましたが?
Tommy:一度だけそれで恥ずかしい思いをしたことがあります。それはあるサウンドトラックを録っているときで、オーケストラと一緒に演奏する必要がありました。曲の真ん中でギターの演奏が始まり、その後にオーケストラが入ってくる部分があります。100人くらいの人が自分の演奏を待ち構えているというのは、とても緊張するものです。私はピアノ奏者に近づき「どんな感じかちょっと演奏してみてくれない?」と云いました。彼は演奏し、私はそれをすぐに覚えなければならず、緊張がますますひどくなりました。スタジオで演奏するときは大体、 Rhythm Kings[1]Bill Wymanが率いるロックバンド名のBill Wymanと演奏するような場合は、録音済みのトラックにソロを重ねるやり方です。それは楽しくできるので、子供にたくさんのキャンディーをあげるような感じですね。
MF:Chet AtkinsやBeatles以外で影響を受けた人はいますか?
Tommy:子供の頃ではHank Williams、Jimmy Rogers、Marty Robbinsですね。Beatlesはもちろん、Elvis Presley、James Burton、Albert Lee、Don Rich、Roy Nichols、Geroge Benson、Wes Montgomery、Stevie Wonder、Billy Joel。James Taylorは最も影響を受けた作曲者のひとりです。彼の歌やギター、音楽へのアプローチ方法等、すべてが好きです。Tony RiceとDoc Watsonも好きです。ブルーグラスやクラシックも好きです。Mozartのヴァイオリンとピアノのコンチェルトなんか最高ですね。ブルースにも影響を受けていて、B.B.KingやEric Claptonが好きです。そこに魂がある限り、どんなジャンルの音楽も好きです。要はジュース[2]スラングで雰囲気が伝えにくいので、敢えてこのまま。ヤバいとか、イケてるとか、尊敬とか、そんな意味。似た表現にソースもある。違いはJuice … Continue readingです。
MF:”Initiation”を書いたのは何歳の時ですか?また、このユニークな曲ができた経緯は?
Tommy:スタジオのディレイ[3]エフェクターのことで遊んでいる時に初めて”Initiation”のアイデアが浮かびました。その曲を書いたのはたぶん25歳くらいだったと思います。その曲は、昨日の演奏と今夜の演奏ではたぶん違っていると思います。それは進化しているし、生命を持っています。私は楽器を通してそのサウンドと感情に手を伸ばしているのです。音楽とギターを通した精神世界との繋がりです。ギターが鍵となってその扉を開き、そこに到達することができます。この曲は進化してきたし、これからも進化し続けると思います。
MF:この曲はDVDに収録されていますよね?
Tommy:そうですね。ただ、ライブで何が起こるか、というのは部屋にいてDVDを見るだけでは伝わらないことだとは思います。そこにいなければ伝わらないのです。そこがまた難しいところです。よく「いつライブアルバムを出すのか?」と聞かれます。ライブアルバムを出していない理由[4]とは云いつつも、2005年に”Live One”というライブアルバムをリリースしていますは、前日の夜に何が起こっていたかについて聞いても、それは別の時間の話だし、演奏はその瞬間のためにしているからです。進んで認めますが、10回中9回は喜んでたくさん弾いています。私のショーに来てくれた人なら私がたくさん演奏することに気づくでしょう。喜んで認めますが、私の音楽センスとしてはやりすぎ感があります。それは観客のためにするのです。他のミュージシャンから批判があるのであれば喜んで受けます。それは観客のためなのですから。観客は観たいと思っています。BIlly Joelがあなたの側にいることをイメージしてみてください。ただピアノを弾いてくれるだけではなく、ピアノを弾く姿を見せてくれます。彼はおそらく喜んでそれをしてくれるし、一心不乱に弾いてくれるでしょう。他の作曲家はそれはただの音楽的才能だと云うかもしれません。しかし、実際にあなたは彼の演奏を聴きたくてしょうがないのです。観客が喜んでくれることが、弾きすぎに対するある種の承認を与えてくれます。まぁ、とにかく、その瞬間のために演奏するのです。
MF:ピアノ奏者は両手でメロディを弾くことができますが、ギターの場合はどうするのですか?
Tommy:オクターブ奏法のようなものが該当しますかね。
MF:ギターを弾かなかった一番長い期間はどれくらいですか?
Tommy:16歳の時に1ヶ月間弾かないことがありました。ガソリンスタンドで働き始めて、グリースやオイル交換をしていました。でもあるショーが街に来て、彼らと一緒に演奏したら、次の日には彼らと地方回りをしていました。
MF:今まで演奏した中で、一番変わった場所はどこですか?
Tommy:ドイツの掩体壕ですね!第2次世界大戦時の掩体壕がビーレフェルトの街の下にあって、今はジャズクラブになっています。しかし、そこは掩体壕です。そこにある光や壁等は今でも大戦時のようです。そこは私が演奏した一番変わった場所のひとつと云ってよいと思います。他の変わった場所としては大きな露頭の頂上もあります。オーストラリアの南の端の方のエリアでグレート・オーシャン・ロードと呼ばれています。土地の一部は崩れていて、それは海から1kmくらいの高さで、広大な土地と小さな露頭がいくつかあり、とても危険な場所でした。スタッフは空に繰り出して、露頭にジャンプできるような距離に近づき、ヘリコプターでホバリングしました。広さはこの部屋ぐらいですが、下は1kmの崖です。カンタス航空のCMの撮影でしたが、私は防寒用下着を着て、ヘリコプターは素晴らしいショットを撮影するために私の回りをぐるぐる回りました。「これはおかしくないか?こんなところで俺は何をしているんだ?いつ崩れてもおかしくないじゃないか」と考えながら立っていましたが、結果崩れませんでした!(笑)
MF:あなたは、社会で恵まれない人たちについて、大きな関心を寄せているように見えます。そのきっかけは何で、どうしてそのような人たちと関わりを持つようになったと思いますか?
Tommy:私はそのような人たちと関わりを持っていますし、それは私にとって重要なことでもあります。彼らのために演奏することが彼らの助けになるのなら、それは恵まれたことだと感じています。ご存知のとおり、私自身も本当に貧しい経験をしており、それがどんなものかわかっています。何ヶ月もずっと米とパウダーミルクで生活するということが、どんなことかわかっています。私もそこにいたのです。お金もなく、食べ物もなく、何もないことを何度も経験してきました。だからそれが理解できるし、そのような人たちと関わりを持っています。耳や目に問題がなくて、健康が良好なことは幸福なことだと感じています。しかし、その向こう側には恵まれな人たちがいます。ワールド・ビジョンや赤十字のような組織と一緒になって、彼等の活動を見てきました。彼等ほど賞賛されるべき人たちはいないでしょう。自分の人生を人を助けることに捧げているのです。本当に感銘を受けます。しかし、だからといって、私も救援隊員となってアフリカに行きたいと云っているわけではありません。私の天職は音楽を演奏することで、それに忠実でなければなりません。私は自分の出来ることをできるだけ多くしたいと思うこと、自分が信じていることに忠実でなければならないと思うことは、才能であると思うし、それを信じることがこの世界では大切だと思います。
(この時点で、夕食の準備が出来たことがとても適切な感じで伝えられ、Tommyの話が中断された。)
MF:最後に、あなたの夕食の準備ができたようなので、他の質問は次回のために取っておくとして、WGNラジオでPeter HuttlingerとPeppino D’Agostinoと近いうちにツアーをすると云っていました。どんな形のツアーになりますか? 一緒に演奏するのか、ギター・ナイトのときのように交互に演奏するのか、どのような形を考えていますか?
Tommy:PeppinoとPeteとまだそれについて話す機会が持てずにいます。個別に演奏して、デュオで演奏して、最後にみんなで演奏すると思っていますが。彼らに歌ってもらおうとも思っています。あとみんなでギターでパーカッションしながら何かできないかとも考えています。ノンストップで次に何が起こるかわからないようなショーにしたいと考えています。PeteとPeppinoは良い感じで、私たちはみんな違います。うまく束ねてよい結果につなげたいですね。私たちは自分たちのことで忙しいので、一緒に練習する時間がどれだけ確保できるかわかりません。ただ本当に一緒に演奏したいですし、良いものにしたいですね。もちろん、良いものになるとは思うのですが、良い意味で観客を驚かせたいです。
MF:ありがとうございました、Tommy。夕食を楽しんでください。
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〆
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