紀貫之「土佐日記」を読む

貫之もすなる日記(にき)といふものを、けいやもしてみむとてするなり

…という動機で始めた本ブログではありませんが、ブログは日記みたいなものかもしれません

ということで、日本最古の日記文学と言われる紀貫之の「土佐日記」をビギナーズ・クラシックス・日本の古典で読みました

土佐日記の成立は平安時代の934年頃らしいです

古典なので、起承転結の設計が甘く、決して読みやすいことはないのですが、それでも1000年以上前の人々の生活や思考が辿れるのはとても面白い体験です

そして、1000年前の人間に比べて、現代人は進化したよね、と胸を張って言えればよいのですが、そういうことはなく、今も昔も人間はそんなに変わってないよね、というのがちょっと物悲しいところでもあります

早く京都に帰りたい

土佐日記はどんな話かといえば「早く京都に帰りたい」の旅行記です

土佐(現在の高知県あたり)から自宅の京都に帰るまでの「全然船が進まねぇ」の状況を延々と書き綴ります

どのくらい船が進まないかと言うと、天候が悪かったり海賊が怖かったりで結果55日かかっています

これは平安時代の当時としてもだいぶ長くかかっているようで、平均は20日とか30日だったそうです(それでも長いけど)

なので日記ではひたすら「早く京都に帰りたい、なかなか船が進まない」とぼやき続きます

あと、京から土佐に赴任した際には、幼い娘を連れ立ってやってきたのに、土佐で亡くなってしまい、帰路には娘がいないという悲しさも綴ります

例えば以下の詩とかです

なかりしも ありつつ帰る 人の子を ありしもなくて 来るが悲しさ

(訳:以前子供のなかった人たちも、今はそれぞれが産んだ子を連れて帰るのに、子を持っていた私は子を亡くして帰ってくる、その悲しさといったら)

ただ「亡くなった娘」は、紀貫之が本日記にてテーマを設定するためのフィクションともいわれます

平安時代の下ネタ

土佐日記では軽口を叩く記載も随所に見られますが、気になった下ネタ部分をピックアップしてみました

  • 押鮎(おしあゆ)の口をのみぞ吸ふ(訳:(鮎を食べる際に)鮎の口を吸った)
  • ほやのつまのいずし、すしあはびをぞ、心にもあらね脛にあげて見せける(訳:(水浴びした際に海の神様に)着物をたくし上げて、老海鼠(ほや)や貽鮨(いずし)や鮨鮑(すしあわび)を見せつけた)

うーん、下ネタ認定してよいのか迷うほど、控えめな下のネタです

1個めは「鮎とキッスしたよ」という何でもない軽口ですが、キスのことを「口吸い」と表現するのは生々しくディープな印象です

2個めは貝類を性器に例えているわけですが、この例えは1000年以上前からかわらないのね、という感想です(下ネタの古典)

高知県に鶴

その他印象に残った詩は以下です

我が宿の 松の梢にすむ鶴は 千代の雪かと 思ふべらなり

(訳:私の家の松の梢に住んでいる鶴は、自分のことを千年経っても消えない雪かと思っているようだ)

「昔は高知県にも鶴がいたんだなぁ」と思って調べたところ、今でもたまにナベツルが高知県にやってくることがあるようです

なお、「鶴」といってよくイメージされる大きな鶴はおそらくタンチョウで、日本では北海道の釧路湿原でしかみれないらしいです〆

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