岡崎久彦「小村寿太郎とその時代」を読む

岡崎久彦氏の著書「小村寿太郎とその時代」を読みました

高橋是清について色々読んでいる際に日露戦争時に外務大臣として活躍した小村寿太郎についても興味が沸いたのが本書を手に取ったきっかけです

なお、著者の岡崎久彦氏(1930~2014年)も日本の元外交官です

本書の感想

本書のタイトルは「小村寿太郎とその時代」ですが、本の内容としては「小村寿太郎」にフォーカスしているというよりも「その時代」について詳しく書かれています

ですので、小村寿太郎についての個人的なエピソードは控えめで、当時の日本の政治状況や日露戦争を中心とした列強諸国の動向等について詳細に記述されています

小村寿太郎のざっくり年表

小村寿太郎のざっくりとした年表は以下のような感じです

  • 1855年(0歳)九州で生誕。ペリーの黒船が来航した2年後
  • 1870年(15歳)大学南校(東京大学の前身)に入学
  • 1875年(20歳)ハーヴァード大学に留学
  • 1880年(25歳)留学を終え帰国
  • 1881年(26歳)結婚
  • 1883年(28歳)長男誕生
  • 1886年(31歳)長女誕生
  • 1893年(38歳)駐清代理公使として北京に赴任
  • 1894年(39歳)清国と国交断絶に伴い帰国、日清戦争勃発
  • 1895年(40歳)日清講和条約締結に尽力。腸チフスに罹患し1ヶ月入院。次男誕生。駐韓公使として京城に赴任
  • 1896年(41歳)韓国から帰国
  • 1898年(43歳)駐米特命全権公使に任命
  • 1900年(45歳)駐露公使に任命。父死去。帰国後即日、駐清行使に任命
  • 1901年(46歳)帰国。外務大臣に任命
  • 1905年(50歳)日露戦争講和全権委員に任命
  • 1906年(51歳)外相辞任。特命全権大使として英国に赴任
  • 1908年(53歳)ロンドンより帰国。2回目の外務大臣に任命
  • 1911年(56歳)外相辞任。葉山の別荘に移り、死去
  • 1912年(――)明治天皇崩御。大正と改元

やはり小村寿太郎の人生のハイライトは外務大臣になってから日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)を締結するまでの期間でしょうか

小村寿太郎の功績

本書では、小村寿太郎の最も大きな功績として日本を日露戦争に踏み切らせたことが挙げられています

小村はロシアの意図を完全に見抜き、戦争をしないで放置しておけば結局戦争に負けたのと同じ結果になるという考えでした

ここで云う「ロシアの意図」というのは、簡単に云えば「云っていることと、やっていることが違う」というロシアの常套手段で、要するに「極東の平和を望んでいる」と云っても結局は日本への侵略を諦めることがないということです

このロシアの姿勢について、筆者は「要するにロシアは田舎者だから」という観察を紹介しています

都会のインテリは言辞や論理に忠実であろうとするが、田舎者はそんなものは二の次で、自分の利益になるか否かを第一に考えて行動するということらしいです

小村寿太郎の罪

小村寿太郎は国粋主義者で日本の武士の道徳観が強く残っていました

寡黙・不言実行・一言然諾がモットーで、弁解や釈明など日本男児の恥ずべきことだと考えていた節があるようです

そんな性格の小村なので社交も嫌いです(外相としては致命的)

それゆえ現地の社会から孤立して情報から遮断されてしまうこともしばしば

本書では小村に代表されるこのような「顔のない外交」スタイルを批判しています

なお、日清戦争時の外相であった陸奥宗光とはかなり対照的な人物だったらしく、以下のように比較されています

比較項目陸奥宗光小村寿太郎
主義欧化主義者国粋主義者
口数多弁寡黙
性格自由闊達禁欲的

陸奥宗光と云えば、幕末は坂本龍馬と終始行動を共にしていたので、上記の表のような性格も納得というか、そんなイメージです

おわりに

学校で習う社会の教科書では数行で済まされてしまう歴史も、詳細に見ていくと当然ですが膨大なドラマが詰まっています

本書では日露戦争前後の日本の政治状況、日露戦争の経過、韓国併合等の明治時代の歴史について大いに勉強できました

どうやら岡崎久彦氏の「○○とその時代」というのはシリーズもののようなので、今後他の書籍も読んでみたいと思いました〆

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