映画「八日目の蝉」を観る

女性が不倫をした場合、αオスに寵愛されるために不倫相手の子供を殺すというのは自然界の掟のようなものだけれど、その子供を誘拐して大事に育てるという設定はなんともお涙頂戴で乗り切れないなぁと思いつつ視聴した映画「八日目の蝉」です

視聴前は結構冷めていたのですが、結果、とても泣きました

永作博美が演じる誘拐犯の子供に対する愛情が本物すぎて、子供と過ごす時間を大切にする姿勢が健気すぎて、泣けて泣けて仕方がありません

生みの親と育ての親の関係性について、考えずにはいられない映画でした

日野OL不倫放火殺人事件が元ネタ

ひとしきり泣いたあとで冷静になると、「この映画って日野OL不倫放火殺人事件が元ネタだったよな、現実はどんな状況だったのだろう」と気になりました

映画は視聴者の気持ちを揺さぶるように巧妙に設計されているので、「誘拐犯を逮捕しないほうがみんな幸せじゃないか!」なんて思ってしまいますが、現実はどうなんだろうと気になった次第です

で、「日野OL不倫放火殺人事件」で調べてみると、いくらでも記事が出てくるわけですが、現実の事件は凄惨で全く美化できるものじゃない、という感想です

映画と現実の事件の状況を比較してみるとこんな感じです

【映画】八日目の蝉【現実】日野OL不倫放火事件
不倫相手の家に不法侵入の上、生後間もない赤ん坊を誘拐不倫相手の家に不法侵入の上、放火して幼児2名を殺害
不倫相手の子供を堕胎後、子供が産めない身体となる不倫相手の子供を2度に渡って堕胎
エリートという描写はない女性は子供の頃から学業優秀であり、NECにシステムエンジニアとして入社、いわゆるエリート
不倫相手の夫婦の子供は誘拐された赤ん坊ひとりのみ不倫相手の夫婦には事件後、ふたりの子供が誕生

事件は1993年の出来事で、当時は放火殺人犯を擁護する報道も多少あったというのが驚きです

情状酌量の余地としては、男性に弄ばれたという視点があるとは思うのですが、だからといって幼い子供を二人も殺害したという罪の重さは軽くならないです

ただこうやって状況を比較してみると、映画の方は「誘拐した子供を心の底から愛して育てる」「不倫相手の子供を堕ろして子供が産めない身体になった」「エリートではない社会的弱者の雰囲気」等、誘拐犯に同情しやすい設定が散りばめられていることに気づきます

そんな人工的なエンタメ設定に涙する自分が滑稽にも思えてきますが、そんなメタ認知でもってもう1回映画を観たとしても、たぶん泣きますね

永作博美の演技や美しい小豆島の風景が胸にぐっとくるんですよね

そういう総合力で現実らしさを演出していくのが映画の力という感想も持ちました

その他の感想など

  • 映画では1歳にみたない役者(要は本気で泣いている赤ちゃん)がたびたび出てきますが、そこの部分は「あぁ、生まれてすぐに仕事させられて可愛そう」と思って若干映画に集中できませんでした
  • 家庭環境に恵まれなかった女性(元、誘拐された女の子)が妊娠して「これで一人じゃなくなった」と思うシーンがあるのですが、これって世の女性の多くが抱く感想なんじゃないかと思いました
  • 幼少期の思い出というのは、心の奥底の宝箱に、大事にしまわれている宝石なんだ、きっと
  • 自分の半径5メートルだけ幸せならそれでいい(あなたと一緒に過ごせればそれでいい)というのは、子供目線で考えれば自分の見えている範囲がそもそも狭いのである程度納得感があるが、大人が同じ目線で幸せを追い求めて良いものかというのはちょっと疑問に思いました

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