岡本太郎「自分の中に孤独を抱け」を読む

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どうもこんにちは

最近、岡本太郎の本にはまっているけいやです

岡本太郎の「自分の中に毒を持て」「自分の運命に楯を突け」に続き、「自分の中に孤独を抱け」を読みました

既に2冊の岡本作品を読んで理解が深まっているからかもしれませんが、本書が一番、岡本太郎の世界観や芸術に対する考え方がわかる内容であったと思いました

本書の感想

孤独な神話

岡本太郎は「自分が死んだらこの宇宙も消滅する」と思うようにしていたようです

それは、自分がいなくてもこの世界が続くとしたら、自分はこの世界に対して責任をもってかかわることができないと考えていたからです

自分はこの世界に責任を持っている、だから自分が死んだらこの世界も消え去らなければならない

この考え方は岡本太郎が子供のときからひそかに抱け続けていた考え方であり、彼はこれを孤独な神話と呼んでいます

この考え方に従うと、もう自分とか他人とかの区別が曖昧になってくるなとけいやは思いました

自分が死んだらみんなも消え去るのだから、僕たちは繋がっているよ、というか、お互い無関係ではいられない

まさに個にして全、全にして個な考え方だと思いました

自分は本当の自分じゃない

自分は本当の自分じゃない、と言うとわかりにくいのですが、要はこの世界で寝たり起きたり食べたりしている自分は本当の自分ではなく、自分の実体は別に存在するという感覚のことを指しています

じゃあ、自分の実体はどこにいるんだとなりますが、それは自分の背後に守護霊のように立っているわけです

この守護霊が、生身の身体を持った自分の肉体に対して「あれしろ、これしろ」と指示を出しています

これが岡本太郎が自分に対して抱いているイメージです

このイメージの何がメリットかというと、それは現実世界の自分が苦しんだり壁にぶち当たったりしていても、その状況を客観視できることです

辛いのは肉体を与えられた仮の姿の自分であって、本当の自分ではない

なので本当の自分が生身の自分に対して「もっとやれ」と言ったり、「お前も大変だな」と慰めたりするのも自由自在です

この感覚を持っていたからこそ、岡本太郎は自分の筋を曲げずに貫き通す強い生き方ができていたのかなと思いました

今で言うところの「メタ認知」に近い考え方なのかもしれませんが、岡本太郎は数十年前の人なので、時代を先取りした感覚の持ち主だったのでしょう

芸術家とは何か

岡本太郎は言います、無意味、屈辱、絶望の虚無感から出発するものだけを、ぼくは芸術家と認める、と

つまり「こんなことしても意味ないじゃないか」という虚しさがまず初めにあって、そこからどうやって意味のあるものに転換していこうかと、もがき苦しむところがなければ芸術家とは言えないということかと思います

涼しい顔して職人芸的に何かを生み出しても、それは芸術ではない

なんかとても考えさせられます

経験を積めば積むほど、生みの苦しみが減って職人的上手さが目立つようになることの方が芸能の世界では多い気がします

というか、何年も長期間にわたって生みの苦しみに耐え続けられる人間はそう多くないのでは、と思うところもあり…(そこを真面目に取り組むと命が危ない)

また、大衆に受け入れられるような作品は、ある程度職人的上手さがないと商業的に通じない気がしていますが、それは鑑賞者と作品が互いに寄りかかり合っているということで、芸術ではないということなのか…と、あれやこれやと考えてしまいます

岡本太郎にひとつきいていみたい

「承認欲求ってどう思いますか?」

おそらく岡本太郎は承認欲求を完全に否定することに成功している稀有な人間であったのではないかと思っています〆

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