羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」を読む

羽田圭介氏の「スクラップ・アンド・ビルド」を読みました

芥川賞を受賞した本作品、2015年当時に羽田氏がカラオケボックスで聖飢魔IIの悪魔メイクで待機し、受賞の連絡と同時に絶叫していた光景が思い出されます

芥川賞作家って純文学を愛する寡黙でナイーブな雰囲気の人かと思っていたのですが、羽田氏のそのイメージとのギャップぶりに唖然とした記憶があります

当時は目立ちたがり屋の変わった人だなぁ、という印象のみで終わってしまったのですが、最近新聞の記事かなんかで「羽田氏は中古マンションを投資物件として購入して〜」みたいな記事が載っており、そういえばそんな人いたなということで、本書を手に取る流れとなりました

読後の感想としては、シンプルに面白い小説でした

要約すると、介護老人に本当の意味の尊厳死を!という使命感に燃えるフリーター青年が老人との対話の中で成長していく物語です

その結末にドキドキしながら読み進めるわけですが、劇的な結末を迎えることもなくTo Be Continue的な終わり方をするのがなんとも文学的な余韻を残す作品です

本書の感想

おじいちゃんは本当に死にたいと思ってるの?

本小説を面白くしているポイントとして、主人公である青年の祖父が本当に死にたがっているのか不明、というのがあります

祖父は事あるごとに「死にたい」と口にします

青年はそのセリフを何度も聞いており、なるべく苦しまないように死なせてやるのが祖父の意思を尊重した尊厳死のあり方だと思い、青年は過剰介護により祖父を弱らせてあの世に送ってやろうと決心するわけです

しかし、時折祖父が見せる生への執着(甘い物食べたいとか、若いヘルパーさんの身体を触りたいとか、風呂で溺れかけて必死にもがく姿とか)に、青年の決心は揺らぎます

俺のやっていることは、本当に正しいことなのか?

その答えは青年にも、読者にもわからないような書き方がされており、このポイントこそが本小説を一番面白くしている点だと思います

このように人の思いや感情の揺れが交錯するポイントを文学交差点といいます

嘘です、言いません、けいやが勝手に命名したものです

何をスクラップ・アンド・ビルドしたのか?

本書のタイトルのスクラップ・アンド・ビルドとは一体何を指しているのでしょうか?

ひとつは筋肉を指しているという説です

使命感に燃えた青年は、今までフリーターでぼんやりしていた生活から一転、規律ある生活に変化し、筋トレにも励むようになります

筋肉を破壊しては修復するの繰り返し、このことに関して小説中でもスクラップ・アンド・ビルドという表現が使われています(たしか)

脱線ですが、青年がラグビー部の筋肉隆々のメンツを内心バカにする描写があり、「やつらの筋肉はコーチとか集団心理の外的圧力によって作られた筋肉だ、一方俺の筋肉は自分の規律のみで作り上げた筋肉だ、俺の筋肉のほうが崇高だ」みたいなことを言っていて、海外の筋肉ユーチューバーのChris Heria(クリス・ヘリア)のことを思い出しました

彼も「毎朝筋トレするのはdiscipline(規律)のため」という発言をしています

さて、本筋に戻って、スクラップ・アンド・ビルドするものは何かという話ですが、もうひとつの説が人間そのものというものです

簡単に言うと、老人をスクラップして新たな人間をビルドする、ということですが、こっちの線で考えるほうが小説タイトルとしては含蓄が深いです

筋肉細胞を破壊して修復するように、人間そのものも、ひいては人間社会もスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す、そんな盛者必衰の理に読者が思いを馳せることこそ、本小説を読む意義なのかもしれません〆

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