岡本裕一朗氏の著書「教養として学んでおきたい哲学」を読みました
前回読んだ「史上最強の哲学入門」で多少哲学の面白さがわかったので、もう1冊挑戦してみました
本書はレベルを入門・初級・中級・上級と分けるならば、初級に分類される内容かなと感じました
哲学の進化の歴史について概観することができます
本書の感想
現代は哲学の時代
哲学の始まりはギリシャ哲学と云われていますが、暇人が始めた学問とのことです
奴隷制度があったので、良い身分の人は自由な時間がふんだんにあったわけです
翻って現代を考えるに、今の時代も生産性の向上や長寿命化により、個人の自由な時間が増えてきています
つまり、人生100年時代に突入した我々は哲学をする余裕があるのです!
なるほどなぁ、人間って暇になったら哲学するんだなぁ、と思いました(Netflixばかり見ている場合ではない)
人生論と哲学の違い
「答え」にフォーカスするのが人生論(あるいは宗教)
「問い」にフォーカスするのが哲学だそうです
つまり、「こう生きるべきだ!」と喧伝しているのは人生論であって哲学ではありません
哲学は常に「この生き方は正しいのだろうか?」と問い続けます
哲学とは「問い続ける姿勢」のことなのだなと思いました
哲学の進化の歴史
とても分かりやすい説明として、哲学の進化の歴史について以下のようにまとめられていました
- 古代:存在論的転回
- 中世:神学的転回
- 近代:認識論的転回
- 現代:言語論的転回
- 未来:メディア技術的転回 or 自然主義的転回 or 実在論的転回???
各転回についてはそれほど詳しくは述べられていませんが、要するに「世界をどのように理解するのか?」という問いに対して、時代ごとに存在論で考えたり、認識論で考えたり、と試行錯誤を繰り返してきたということです
なお、中世の神学的転回は、上記で触れた「人生論と哲学の違い」の観点からして、神学自体が哲学にそぐわないので、中世は単に「哲学の暗黒時代」と表現されることもあるそうです
また、未来についてはまだわからないので、今後の展望として3つの転回が挙げられていました
合理主義 VS 経験主義
哲学の歴史は別の見方をすると合理主義 VS 経験主義の戦いとも捉えることができます
つまり、世界の成り立ちは合理的(頭で考えた論理がベース)か?経験的(人類の経験がベース)か?ということですが、直感的に思うのは「どっちもある」だと思いますよね
そのどっちもあるという考え方で、両者の戦いを治めたのがカントやヘーゲルのドイツ観念論ということらしいです
本質主義から実存主義へ、そして構造主義
もうひとつの哲学史の見方です
「日本人なんだから」「女性なのだから」「学生なのだから」という考え方を本質主義と云います(なんらかの本質に基づいて「~なのだから」と考えているので)
それに対して「個人がどうするかは自由だ!」という考え方は実存主義です
それに対して「自由とか云っていますけど、個人の生き方なんて社会の中の位置づけ(構造)等である程度決定されてしまいますよね?」という考え方は構造主義です
語弊があるかもしれませんが、本書を読んでそう理解しました
その他、面白かったところ
ほら吹き男爵のトリレンマ
議論の誤った進み方・終わり方として「ほら吹き男爵のトリレンマ」が紹介されていました
- 無限背進:相手の答えに対して、その理由を永遠と問い続けていく
- 循環論:理由を問い続けると、いつの間にか最初の根拠に戻ってしまう
- 独断的な中断:議論を無理やり打ち切る
こう整理されるとなるほどなと思いました
無限背進は、よく小学生のころにやっていましたね(何でと問い続けて遊ぶやつ)
循環論は、「なぜ宇宙は存在しているの?それは人間が存在しているからだ」「なぜ人間は存在しているの?それは宇宙が存在しているからだ」みたいな感じでしょうか
確かにいずれも発展性のない展開になっているので、こうなったら議論の仕方を見直す必要がありそうです
ソクラテスのちゃぶ台返し
問答法とも云われるようですが、「相手にとことん語らせた後、相手の中の自己矛盾を指摘して最後にひっくり返す方法」のことをソクラテスのちゃぶ台返しと云うらしいです
また本書で以下のように書かれていましたが、なんか耳が痛かったです
日本人の議論が上手くいかない理由は、お互いの論点が異なっているのにも関わらず、自分の主張のみをぶつけ続けるからであり、それゆえ、相手を的確に批判できない
確かに論理の破綻なく永遠としゃべり続けるのって難しいので、ただじっと聞いて最後に指摘するやり方はうまい方法かなと思いました〆
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