小野田寛郎『たった一人の30年戦争』を読んで ― 二人の“帰還兵”の対照的な生き方

横井庄一さんの『明日への道』を読んだ流れで、もう一人の「最後の日本兵」と呼ばれた小野田寛郎さんにも興味が湧き、『たった一人の30年戦争』を手に取りました。

読み進めてまず感じたのは、同じ“ジャングルサバイバー”でありながら、横井さんと小野田さんは驚くほど対照的だということです。

横井さんは「救助が来るまで静かに潜伏していた」印象ですが、小野田さんは真逆で、「最後まで任務を遂行し続けた軍人」そのものでした。
彼は密かに身を隠すよりも、ゲリラ戦を30年間続けていたのです。

そのため、読んでいて最初に思ったのは「よくフィリピン政府に処刑されなかったな」という点でした。
現地の人々や政府軍に銃を向け続けていたわけですから、当時のフィリピン人からすれば脅威以外の何ものでもなかったでしょう。
それでも最終的に恩赦が与えられたのは、日本政府の外交努力なのか、あるいは当時の日比関係の力学によるものなのか——その背景に興味が湧きました。

小野田さんは本書の中で「女・子供を殺すこと以外は全部した」と語っています。
記述を読む限り、横井さんほど物資に困窮していないようで、現地住民からの略奪も行っていたと察せられます(横井さんはそのような行為を一切していません)。
この違いには、兵士と士官という立場の差が大きく影響しているのだと思います。
横井さんは「生き延びること」を重んじ、小野田さんは「戦争を続けること」を重んじた。
つまり、「軍人として戦うことこそが職務であり、戦時中に敵を倒すのは当然」という信念を持ち続けていたのです。

生前、二人の対談はついに実現しなかったそうですが、もし実現していても、互いに理解し合うのは難しかったのではないかと感じます。
おそらく小野田さんは横井さんの「戦わない選択」を快く思っていなかったのではないでしょうか。
一方で、世間的には横井さんの方が“庶民的で親しみやすい”イメージを残しています。

小野田さんには「軍人の亡霊」や「軍国主義の象徴」といったレッテルが貼られがちですが、本書を読むとそのイメージとは異なる一面も見えてきます。
仲間を思う気持ちや責任感、人間味のある描写も多く、単なる“頑固な軍人”では片づけられない人物像が浮かび上がってきました。

そして驚かされたのは、帰国後わずか1年でブラジルへ渡り、55歳にして牧場開拓に挑んだという胆力です。
日本では住みづらい、居心地が悪いという事情はあったと思いますが、30年のジャングル生活の後に、なお前へ進もうとするその逞しさ。
生きる力とは、まさにこの人のことを言うのだと感じました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました