岡本太郎「自分の運命に楯を突け」を読む

この前、初めて岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読みました

いろんな人が本書のことを「おすすめ!」と言っているだけあって、頭を殴られるような衝撃がある、読んで良かったと思える本でした

ということで、もう少し岡本太郎の別の本も読んでみたいと思い「自分の運命に楯を突け」も読んでみました

相変わらずの言葉の熱風が凄い本書でした

ある程度心して読まないと、この熱風にやられて途中で本書を読むのを離脱してしまう人もいるのではないかと思いました(暑苦しい、とかなんとか言って)

しかし、気合を入れて読めば、岡本太郎の何たるかに近づける本ではあります

気づけば読了直後のツイートも、岡本太郎みたいな表現になっている…

本書の感想

本当の知性とは

本当の知性とは言うまでもなく、学歴が高いとか、知識が豊富とか、そんなことではありません

岡本太郎の考える本当の知性とは「生きる意味を自分で理解し、その中で他者との関係を考え、実行すること」であると読みました

特に「他者との関係を考え」という部分が重要です

一人で考えて納得しているだけでは不十分

人間は決して一人では生きていけないのだから、あくまで社会や人間関係の中における自分の相対的な位置を確認し、それを主張し、実行する

それができる人が、本当の知性ある人ということです

ともすると、安易に他者の考えや期待に流されてしまうけいやですが、もっと「自分はこう思っているから、こうしているんだ」と淡々と説明する場面があっても良いのではないかと思いました

なぜ太陽の塔を造ったか

岡本太郎は「人間は通じあう相手がいなければ存在していないのと同じ」と言います

で、あの有名な太陽の塔なのですが、あれはみんなとコミュニケートするために立っているらしいです

パブリックの広場に作品があると、みんなと無条件にコミュニケートできる

作品を通して、みんなとコミュニケートし、人間として生きる

そんな感じでしょうか

太陽の塔を見るとき、私たちが岡本太郎とコミュニケートしているとしたら、それは時空を超えた対話であるとシンプルに思いました(比喩とかそういう話ではなく)

芸能鑑賞について

岡本太郎は芸能鑑賞について、見る側と見られる側が分裂しすぎている、と言います

例えば、音楽では演奏する人、鑑賞する人が明確に分かれているが、それでいいのか?ということです

正直「それでいいのか?」ときかれても困ってしまいますが、要するに本当の感動や陶酔は参加することでしか得られない、ということかと思いました

こう表現するとそれはそうかなと思います

見たり見られたり、奏でたり聴いたり、そんなアクションとリアクションの連鎖の中で人間として生きる喜びを実感する

そんな場面が減ってくると、人生の喪失感が増えていくのかもしれません

スポーツについて

岡本太郎はスポーツは、本来、明朗で健康的なものだ、という立場です

要は、明るく元気に健康的にできる範囲で楽しめばよいということかと思います

プロの世界ではなかなかそうもいかないとは思いますが、少なくとも学校教育の場では、そうあるべきだよな、とけいやも思います

学校の部活動って、どうも陰鬱で功利主義的な捉え方が横行している感じが昔からしていました

上下関係の厳しさを教えてやる、ということの実態が単なるマウントやいじめ、みたいな

最近の部活動はもう少し明朗で健康的な感じになっているのか気になりました〆

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