今回はライヨンとソクトクリームのお話。
ライオンとソフトクリームの打ち間違いではなく、ライヨンとソクトクリームのお話である。概要を述べれば、思い込みは聴覚を狂わせる、という話になるだろうか。
子供の頃、絵本を読み聞かせしてもらっていた人は多いのではないかと思う。大体は文字など読めない時分のため、すべての単語は耳から聞こえたとおりに覚えて発音するようになる。
聞こえたとおりに発音して、それが相手に伝わって、だんだんと単語を覚えていく、というプロセスであるが、そこにはもちろん聞き間違いが時折発生する。また、舌足らずな子供の発音だからと、それを聞く大人も発音の是正を怠ると、間違ったまま単語を覚えてしまい、それが随分大きくなってから発覚するという事態を招く。
そんなわけで自分の場合は、「ライオン」は「ライヨン」、「ソフトクリーム」は「ソクトクリーム」と間違って覚えていた。
一度そう覚えてしまうと、思い込みによってその後何度「ライオン」「ソフトクリーム」と聞いても、「ライヨン」「ソクトクリーム」としか聞こえなくなってしまう。人間の認知能力というものは、思い込みに強く影響を受けるものだと実感する。
自分の場合は、この間違いを子供の頃に母親に指摘され、公衆の面前で恥をかくことは回避できた(それでも母親に結構笑われ、子供ながらに少し傷ついた思い出がある)が、そうならない場合もかなり多いと思われる。
例えば、自分の父親の場合。
父は石油(せきゆ)のことを石油(せきゆう)と間違っていた。40代半ばまで。
これが発覚したのは、両親の実家への帰省中の車の中で、ここでも母は父を笑いものにし、父が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていたのが印象深い。
もっとひどいパターンは高校の化学の先生だった。
彼は面心立方格子(めんしんりっぽうこうし)のことを面心立方格子(めんしんりっぽうもうし)と呼び、「格子は『こうし』とも読むし、『もうし』とも呼ぶ」という嘘八百を生徒たちの前でいけしゃあしゃあと教えていた。
40代の化学のベテランの先生が言うことだからと、強いて疑うことまではしなかったが、当時学生だった自分は多少の違和感は覚えたため、格子を「もうし」と呼ぶことはしなかった。しかし、毎年何人かの学生は格子を「もうし」と呼ぶようになったであろう。一個人の罪のない聞き間違いが、多くの聞き間違いを量産する例である。
とまぁ、化学の先生の例は少し特殊かもしれないが、皆さんもひとつやふたつは幼いころの聞き間違いを大人になってまで引きずっている例があるのではないかと思う。子供の話す言葉には注意深く耳を傾け、思い違いをしていそうであれば、優しく指摘するのが吉であると思う。〆
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