一番古い記憶

「一番古い記憶は何?」と聞かれて思い浮かぶのは、母親におんぶ紐で背負われて外の道を歩いている記憶である。

おんぶ紐は青色、空は青空、道は舗装されていない土の道、ママ友とともに兄の保育園のお迎えに向かうシーンで妙に具体的な記憶なのだが、おんぶされている当時の自分がその状況を理解していたのかはかなり怪しい。具体的な記憶の部分は、その記憶を何度か思い返すうちに、文脈が整理されていったものかもしれない。

おんぶの記憶はおそらく自分が3歳頃の記憶である。それより前の記憶はない。

よく思うのだが、神様はなぜ、生まれてから自我が芽生えるまでの記憶を私たちから奪い去ってしまうのだろうか。ここの記憶がしっかり残っていれば、私たちは両親に対してもっと感謝の気持ちを早い段階から持てるのではないかと思う。

生まれてから3歳ぐらいまでの間と言えば、何もできないので、周りの人に(多くの場合は一番両親に)世話を焼いてもらう時期である。ご飯を食べさせてもらったり、おしめを変えてもらったり、お風呂に入れてもらったり、それはもう本当に何から何までお世話してもらわないと生きていけませんという状態である。

そんなある意味情けない状態の自分の記憶がしっかりと残っていれば、ある程度自分でできることが増えてくる思春期の頃でも、「母さん、父さん、ありがとう」の気持ちを忘れずにいられるのではないかと思う。あの頃のことを忘れて「俺は一人で生きていける!」なんていう思い違いを起こすこともないのではないかと思う。

しかし、現実は私たちは自分の一番情けない時期の記憶は、往々にしてない。

なぜなのか。そこには何かしら進化の過程で手に入れたメリットがあるのではないか。と、考えてもわかるはずもないので、「自分の一番情けない時期の記憶を保持していると恥ずかしすぎて生きていけないから」という理由を個人的には採用している。〆

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