ある日ツイッターで以下の投稿を見かけました
ある青年が、がんの闘病生活の末、亡くなったという状況のようでした
調べてみると彼には著作があることがわかりました
ということで山口雄也氏の著書「「がんになって良かった」と言いたい」を読みました
限りある人生を悔いなく生きることについて、もう一度真剣に考えてみようと思える本でした
山口雄也氏のご冥福をお祈り申し上げます
本書の感想
タイトルについて
「がんになって良かった?そんなわけないじゃん!」
という議論が少なからずあったそうです
「がんになって良かった」という部分にフォーカスしてしまうと、そういう議論が発生するのはわかります
しかし、フォーカスすべきはそこではなく「言いたい」の部分でしょう
要するに、経験しないに越したことはないけど、いざそれが自分に降りかかってしまったときには、その辛い経験を前向きに捉えて人生の糧にする姿勢を表しているのだと思います
なので個人的にはそんなに奇をてらったタイトルだとは思いませんでした
むしろ「がんになって良かった」という意外性と、その意外性に含みを持たせる「言いたい」の部分が上手く組み合わさった良いタイトルだと思いました
文体について
読んでいて感じたのが、山口氏の文体が時間の経過とともに変わっていくというか、重みが増していくということでした
がんの再発を繰り返すうちに、肉体的・精神的苦悩は深くなり、希望と絶望の狭間で耐えていく状況が文体にも反映されているのでしょうか
苦悩の深さが文体を洗練させる、そんなことを感じました
みんないつかは死ぬ
当たり前ですが、みんないつかは死にます
しかしそのことを毎日意識しながら生活することが難しいのはなぜなのでしょうか
一方、死など意識せずに、今この瞬間だけに集中して生きるという方法もあります
「死を意識しながら生きる」と「死を意識せずに生きる」のどちらが正しいという答えはないとは思いますが、個人的には前者の方が人間らしさがあるかなと思います
なんでも死を意識できるのは人間だけで、他の動物にはできないそうです
余命を宣告された人は、「死を意識しながら生きる」機会が格段に増えることは想像に難くありません
その「死の恐怖」から逃れるために「今この瞬間に集中して生きる」という手法を取り入れるかもしれません
それでもやっぱり死を意識することで、物事の優先順位が変わってくることもあると思います
言い方を変えると、限られた時間の中で悔いなく生きるためには物事の優先順位を決める必要がある、ということです
これはつまり、死を意識しないと悔いのない人生が送れない、ということかもしれません(優先順位が曖昧になるので)
飢えずに死ねたら御の字
妙に心に残った一文がこちら
飯さえの、死ぬまで食えたら、そらもう御の字じゃわ
確か山口氏が入院先の病院で出会った同じがん患者(高齢の方)の言葉だったと思いますが、これを読んで「そうだよなー」と心底共感しました
病気で死ぬのは辛いですが、飢えて死ぬのはもっと辛そうです
死からは誰も逃れることはできませんが、死に方を選べるとしたら、「飢え死に」を最も避けたいと思うのは生命としての本能なのでしょうか
食事が不自由なくできることに改めて感謝しなければ、と思いました
コメント