菅原孝標女「更級日記」を読む

「夢見がちな文学少女、アロフォーになり信仰に目覚める」

ということで、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の「更級日記」を読みました

土佐日記や蜻蛉日記に比べると、日記のテーマが読み取りづらく、日記文学というよりは、普通の日記に近いなという読後の感想でした

平安文学少女の世界観

菅原孝標のむすめは文学少女で幼い頃は田舎暮らしで好きな本が十分に読めなかったので(平安時代の本は高級品で手に入りづらい)、父親の仕事で京の都に赴任することになった際は、「これでお腹いっぱい本が読める」と胸を高鳴らせていたのでした

そして、京についたらさっそく源氏物語などを手に入れて読み耽るわけです

そんな文学少女の世界観は「光源氏様のような男の人に山奥に隠されたい。花や紅葉や月や雪などを眺めながら心細く毎日を送りたい。彼からはときどき手紙が来ればそれでいい。」というなんとも風流で奥ゆかしいものです

現代でも同じような願望を抱く人がいるのは想像に難くないですが、独占欲の対象になりたい、素敵な人に所有されたいという欲求は今も昔も変わらぬ人間の性のようです(現代の感覚で行くと、不自由を強いられるのは御免被るという人が多い気はしますが)

32歳で初出勤

そんな文学にうつつを抜かす彼女も32歳にして宮中に初出勤します

32歳!

現代の感覚だと「32歳まで家でゴロゴロ漫画や本ばかり読んでいました。でも親に言われてしぶしぶ働くことにしました。」だと、かなり重症で危険物件な感じがしますが、平安時代のそこそこの身分の女性の話なので、まぁ普通に働かせてもらえるようです

というか、むしろ女性が働くと、ひと目に触れて汚れるとか、擦れっ枯らしの阿婆擦れになるとか言われている時代ですから…

更級日記の由来がわかりにく

本書がなぜ更級日記と呼ばれているかというと、本書の最後の方で菅原孝標のむすめの旦那が亡くなってしまい、ひとりになってしまった彼女のもとに甥が訪ねてきた際に「月も出(い)でて 闇にくれたる 姨捨(をばすて)に なにとて今宵(こよひ) たづね来(き)つらむ」と歌をよむシーンがあるからです

…この説明で「なるほど!だから更級日記ね!」となる人はレベル高すぎです

補足説明すると、「姨捨」というのは長野県更級郡(月の名所)に伝わる姨捨伝説(一度ばあちゃんを山に捨てたけど、綺麗な月を見ていたら、心が洗われてもう一度拾いに行ったという伝説)のことを指しているからです

なので姨捨から更級を連想して更級日記です

ちょっと待て、そもそもなんで孝標のむすめはわざわざ歌に「姨捨」をいれたんだ?となりますが、これは彼女の旦那の最終赴任地が長野県の更級郡だったからです

…これだけ説明しないとわからない更級日記の名前の由来、非常に分かりづらいです

ただ「更級日記」を「更級に至るまでの日記」と解釈すると、「うきうきの文学少女が年老いてひとりになるまでの日記」という、わりと悲しげなテーマを背負った日記なのだなとも思いました〆

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