「天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債」に続いて、もう少し高橋是清についての本を読んでみようと思い、津本陽「生を踏んで恐れず―高橋是清の生涯」を読みました
高橋是清の生涯を、評論を交えた伝記(評伝)の形でまとめた一冊です
本書の感想
既視感がある…
読んでいて既視感があるなと思いましたが、前回読んだ「天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債」とかなり内容が酷似しています
同じ高橋是清を題材に扱っているので当然と云えば当然なのですが、文体や説明の仕方もかなり似ている部分があり、同じ本を読んでいる錯覚に陥る部分もありました
執筆の順番は「天佑なり」は2015年、「生を踏んで恐れず」は2002年で本書の方が先になります
ただこの「似ている」というのは高橋是清に関する本についてはあるある話みたいで、その原因は元ネタが高橋是清自身の自伝等に寄っているためのようです
どちらを読めば良い?
「天佑」と「生を踏んで」は内容がほぼ同じなので、じゃあどちらを読めば良いかというと、「生を踏んで」の方が日露戦争終了直後の外債募集の経緯や二・二六事件直前の国会の様子などが若干詳細に記述されています
ですので、より詳細な内容を知りたい方は本書「生を踏んで恐れず」がおすすめです
ただ読みやすさで云うと、「生を踏んで」の方は時系列に話が書かれていないので、高橋是清について全く知らない人が本書を読み始めると冒頭から???となるかもしれません(冒頭は政界を引退した是清(74歳)が大蔵大臣を要請されるところから始まります)
一方、「天佑なり」の方は時系列に書かれた小説なので、是清の誕生から話が始まり読みやすいです
ですので、読みやすさを重視したい方は「天佑なり」の方をおすすめします
「生を踏んで恐れず」の意味
ところで「生を踏んで恐れず」とはどういった意味なのでしょうか?
本台詞は、高橋是清が爵位を投げ打って衆議院に立候補する際に放ったと云われています
当時、貴族院議員であった是清が衆議院議員になるためには、爵位を投げ打つ(華族を辞める)必要がありました
なので文脈としては、特権階級を捨ててでも国家のために尽くすことを恐れない、といった感じだと思うのですが、「生を踏んで」の部分の正しい意味は調べてみましたが、よくわかりませんでした
何れにせいよ、真の国士たる人物の言葉だと思います〆
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