時代が進むにつれ「松下幸之助って誰?」という方も増えているかもしれません
けいやも「パナソニックの創業者とか、経営の神様とか、名言・格言が多いとか、なんかすごい人でしょ?」くらいの知識しかありませんでした
ということで、たまたま目に止まった「松下幸之助 経営語録」を読んでみました
松下幸之助について
とは云いつつも、本を読んだだけでは松下幸之助という人物の全体像が掴めなかったので、自分で調べたものを以下にまとめておきます[1] … Continue reading
簡易年表
年代 | 年齢 | 出来事 |
1894年 | 0歳 | ・和歌山県に生まれる ・8人兄弟の3男 ・家は小地主で資産家だったが、米相場で失敗し貧乏になる |
1904年 | 9歳 | ・大阪に丁稚奉公に出る(火鉢屋、自転車屋で働く) |
1907年 | 12歳 | 父が病気で他界、満51歳 |
1910年 | 15歳 | ・電車を見て電気事業に関心を持つ ・大阪電灯に転職 |
1913年 | 18歳 | 夜間学校に入学するも筆記が十分にできず退学 |
1914年 | 19歳 | 冬に電灯工事で3日間の徹夜作業、肺を悪くする |
1915年 | 20歳 | お見合い結婚 |
1917年 | 22歳 | ・ソケット(電球の取り付け器具)を作るために会社を退職し独立 ・ソケットは売れないが扇風機の部品(碍盤)が売れて助かる |
1918年 | 23歳 | 松下電気器具製作所を設立 |
1923年 | 28歳 | ・電池ランプを開発 ・売れないので無償でばらまいたところ、売れ始める |
1927年 | 32歳 | 安価なスーパーアイロンを開発 |
1931年 | 36歳 | ラジオの生産販売を開始 |
1932年 | 37歳 | ラジオ重要特許を買収、一般に無償公開し、業界の発展に貢献 |
1933年 | 38歳 | ・事業部制を導入 ・乾電池が売れる ・従業員が1800人くらいになる |
1935年 | 40歳 | 従業員が3500人くらいになる |
1940年 | 45歳 | 従業員が8000人くらいになる |
1946年 | 51歳 | ・GHQから財閥指定等の制限を受け、松下電器解体の危機 ・個人資産も凍結され、困窮 |
1951年 | 56歳 | アメリカ視察、その繁栄に度肝を抜かれる |
1959年 | 64歳 | アメリカ松下電器株式会社を設立 |
1961年 | 66歳 | ・社長退任、会長へ退く ・私財2億円を会社に寄付 |
1964年 | 69歳 | 大阪駅前の阪急百貨店と阪神百貨店を結ぶ歩道橋を寄贈 |
1973年 | 78歳 | 会長を退任、相談役に就任 |
1978年 | 83歳 | 創業60周年、従業員数が6万人程度となる |
1989年 | 94歳 | 逝去 |
2019年 | ― | 従業員数27万程度の大企業 |
とにかく苦労人
松下幸之助はとにかく苦労人です
家が米相場で失敗して貧乏になったため、若干9歳で丁稚奉公に出て以来、身を削って仕事をこなす松下幸之助
十分な教育が受けられず、憧れの学校に入学するも、筆記が苦手で先生の教えをノートに記すことができず退学するエピソードが悲しいです
それでもめげずに仕事に励み、身ひとつから会社を興し、現在まで続く大企業の礎を築いた偉大な人物です
なんとなく、百姓から将軍にまで上り詰めた豊臣秀吉を連想させます
経営哲学
「経営も商売も、私事ではなく公事である」という考え方がその人生においても貫かれています
日本の発展のために、人々の生活を向上させるために使命感を持って仕事をするからこそ、28歳で倒産覚悟で電球を無償で配ったり、37歳でラジオ特許を無償公開する行動が可能だったのでしょう
社長職を退いた後も、簡易年表では省略しましたが、多くの社会貢献をしています
「松下幸之助 経営語録」について
さて、「松下幸之助 経営語録」の感想に戻りますが、本書はすごく普通で普遍的な経営哲学が松下幸之助の口から語られるといった印象の本です
現代から見て、特に真新しく斬新で進歩的な意見が述べられているわけではありません
本書の初版は1983年なので、逆に云うと、2019年の現在にかけて、松下幸之助の経営哲学が世界や日本に広がり普通になったと云えるのかもしれません
みんさんもゼロから世界的大企業を作り上げた松下幸之助の言葉に触れてみてはいかがでしょうか〆
References
↑1 | インターネット上には松下幸之助についての情報がたくさんありますが、どれも詳しすぎて読みづらい印象でした。なので、概要がサクッとわかる形でまとめています。 |
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