今は昔、コミックボンボンという児童漫画雑誌がありまして、その中で何の漫画かは忘れましたが「春は揚げ物、清少納言」というカットを見て笑っていた思い出があります
ということで、清少納言の「枕草子」を読みました
改めて「春はあけぼの〜」から始まる冒頭部分を読んでみると、「すげー美文だな」と再認識させられました
こういう文章って現代日本語でも書けるのだろうか、書けるとしたら一体どんな文章なのだろうか、とも思いましたが誰か知っていたら教えてください
あと清少納言の実際のキャラクターがとても気になる
文章だけ読んでいると、気が強くて一緒にいると肩がこるような人物を想像してしまうのですが、実際の所はどうだったのでしょうか
結果としては、権力争いに負けてしまった側なので、実は自信をなくして最後はしおらしくなっていたのか、それとも相変わらずの意識高い系のまま貫いたのか…など想像が広がります
【清少納言:枕草子】サロンの女たちは連想ゲームを続ける。春は?夜明け!夏は?夜!秋は?夕暮れ!冬は?早朝!花は?梅!猫は?背中が黒く腹が白いの!これは単なる知的遊戯ではない。文化発信者として優劣をつけるのは使命だ。ただし細分化しすぎて自分たちでもわけが分からなくなっているのは秘密
— Keiya | 強くなりたい (@2R8R9) December 26, 2022
烏の数え方のセンス
有名な「春はあけぼの〜」から始まる文章ですが、その中でも以下の文章で気づきがあり、立ち止まりました。
気になったのは烏の数え方で「三つ四つ二つ」となっています
なぜ「二つ三つ四つ」ではないのか
考えられるのは、烏が3羽飛んで、4羽飛んで、2羽飛んで、というシーンを描写したという可能性がひとつ
もちろん清少納言は烏を見ながら枕草子を書いているわけではないと思うので、この場合、描写力の高さが際立ちます(だって頭の中でそういうシーンを具体的に思い描いたというとですから。けいやだったら「烏が複数羽飛んでる」というぼやーっとしたイメージしかできない)
もうひとつ考えられるのは、「三つ四つ二つ」は単に「烏が複数飛んでいる」という情景を描写したもので、日本語のリズム的に「ふたつみつよつ」よりも「みつよつふたつ」のほうが描写したい情景に合っていると清少納言が判断したというものです
3語2語2語と2語2語3語の違いですが、だいぶマニアなこだわりになります
けいやは個人的には前者のほうかと考えていましたが、そもそも烏ってそんなに群れて飛ぶっけかな?と思わなくもないので、やっぱり後者なのかと思い直したり…と清少納言の真意が気になります
毒舌な清少納言
枕草子を読んでいるとちょこちょこ口が悪いのが気になります
どんなふうに口が悪いかというと、自分の価値観と合わない人をとっても見下す感じがあります
平安貴族は階級社会なので清少納言の性格が悪いというよりも、平安貴族の一般的な感覚なのかもしれませんが、そうとわかっていても現代の感覚からするとちょっと引いてしまいます
例えば、「春はあけぼの(春は夜明けがよい)」などと貴族でもない平民が言うようであれば、清少納言は「下衆(げす)が風流を語るな!」と一蹴します
風流とは貴族のためのものらしいです(ゲスとはまたひどい…)
また別の例を挙げると以下の文章などもあります
生い先なく、まめやかに、似非幸いなど見て居たらむ人は、いぶせく、侮(あなづ)らはしく思ひやられて、〜〜
(将来に望みもなく、ただ一途に夫にすがって、偽りの幸せに安住しているような女を見ると、うっとおしく、バカみたいだと思えて、〜〜)
清少納言は現代で言うところのキャリアウーマンなわけですが、専業主婦を心から見下している感じです(似非幸い(えせざいわい)とはまたひどい…)
まあ、こういう人って現代でもたまにいますけどね(最近は減ってきたか…)〆
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