養老孟司「バカの壁」を読む

なぜ今、2003年刊行の養老孟司氏の著書「バカの壁」なのか。それは2023年の今だからこそ、バカの壁を読み返す意味があると感じたからだ。もう一度「話せば分かるなど幻想である」という認識を確かめよう。

というのは大嘘で、単にバカの壁を読んだことがないので、大ヒットから遅れること20年、やっと読みました、というだけです。面白かったです。

バカの壁とは何なのか。その答えは端的にはわからなかったけれども(きっとキャッチコピー的に使用した言葉なのだろう)、「そう簡単にわかると思うなよ」という強いメッセージを感じた。つまり、「わかった」と思っている人に向けて、「お前はバカの壁を作っている」と言っているのだろう。

けいやも話せばどんな人でもわかりあえると思っている思春期がありました。しかし、年を重ねるにつれて、それは幻想であると痛感することが増えている。これはなにも価値観がまったく異なる人同士はわかりあえない、ということだけを言っているのではない。似たような価値観を持った人との間でさえ、埋めがたい溝が必ず存在する。と思う。極端な話、1+1=2だって、脳みその中で純粋に数字をイメージして計算しているのか、りんごを並べて数えているのかわかったものではない。

人間はラクをしたい生き物である。だから人とわかりあえるという幻想に逃げる。そうやって、わかりあえる(という幻想を一緒に見ている)人で集まって、ウォールマリアにバカの壁を築くのだ。

しかもこの壁は外から巨人が壊してくれるものではない。人類が一歩前進するためには、内側から自ら壁を壊し、巨人のいる世界に飛び出していく必要がある。

なんだ、またハッスルカルチャーか、それに疲れたんだよ。という声が聞こえてきそうだが、人生とは崖を登るような作業なのだから仕方がない。もともと疲れるものなのだ。

人間、自分で経験したこと以上に、理解できることはない。そのことを胸に刻み、バカの壁を壊そう。〆

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