飲茶(やむちゃ)氏の著書「史上最強の哲学入門」を読みました
漫画「バキ」風に哲学者を紹介するというパンチの効いた企画ですが、普通にわかりやすく奇麗にまとまった良書です(ちなみに、漫画「バキ」を読んだことがない人でも問題なく読めます)
この本を読めば、
「哲学者って…意味わかんない!」
から
「哲学者って…すげぇぇぇ!!」
となること間違いなしです
本書で登場する選手(哲学者)とそのエッセンスを以下の通りざっと紹介します
本書の感想
真理とは何か?
プロタゴラス:B.C.485~410年、ギリシア
価値観は人それぞれで、絶対的真理って云われてもね~、というスタンスの相対主義の人
現代人の思想に近いものがあるが、相対主義は基本的に何でもありで、黒を白、白を黒と主張できるテクニックでもある
ソクラテス:B.C.469~399年、ギリシア
無知の知の人
「知っている」と思ったらそこで試合終了
「知らない」と思うから「知りたい」という情熱が生まれるのだ!
デカルト:1596~1650年、フランス
数学は、公理と呼ばれる絶対的に正しいとする基礎的な命題をいくつか仮定し、そこから論理的な手続きで定理を見つける学問である
それでは、哲学における公理とは一体何であろうか?
それは「我思う、ゆえに我あり」である!
ヒューム:1711~1776年、イギリス
経験論の人
人間が考えるものはすべて経験に由来している
「私」という感覚は、知覚(経験)の継続から生じる疑似的な感覚に過ぎない
カント:1724~1804年、ドイツ
人間は物それ自体には決して到達できない
認識によって物を捉えるだけである
つまり、「人知を超えた真理」の探究は無駄であり、「人間にとっての真理」を探究しなければならない
ヘーゲル:1770~1831年、ドイツ
「これは四角だ!」
「いや、これは円だ!」
弁証法とは、対立する考えを戦わせることによって、より高次な考えに到達するやり方である
弁証法こそ、人類を真理へと導く唯一の方法である
…「これって、円柱だったんだ!」
キルケゴール:1813~1855年、デンマーク
人類の真理?そんなものより個人の真理が大事だね!
サルトル:1905~1980年、フランス
人間は自由の刑に処せられている
自由って罰ゲームみたいなもんなんだぜ?
どうせ生きるなら、理想の社会、真理に向かって進展させる歴史という大舞台に立ってみよう!
レヴィ・ストロース:1908~2009年、ベルギー
構造主義の人
人類には目指すべき唯一の真理があるって?
そんなものは西洋中心主義の傲慢な思い込みですよ!
デューイ:1859~1952年、アメリカ
道具主義の人
難しいこと考えずに、それが役に立つか立たないかで考えたら良いんじゃない?
Aを信じることが人間にとって有用性があるならば、Aの真偽によらず、Aは真理なのだよ
デリダ:1930~2004年、アルジェリア
ポスト構造主義の人
決してわかることのない、話し手の意図について云い争っても時間の無駄ですよ
結局、読み手の解釈ですべてが決まる
話し手中心主義から読み手中心主義へ
人類を滅ぼす力を手に入れた私たちは、徹底的に戦うことは許されず、相対主義を推奨せざるをえないのだ
レヴィナス:1906~1995年、リトアニア
他者論の人
「誰にも否定されない絶対的な真理」は原理的・構造的にあり得ない
真理を求める熱い想いが、自己完結の停滞から我々を救い出し、他者を生み、真理を幻想にする
それこそが真理である
国家とは何か?
プラトン:B.C.427~347年、ギリシア
哲人王思想の人
イデアを知る哲学者こそが王になるべきだ!(エリート主義)
アリストテレス:B.C.384~322年、ギリシア
万学の祖の人
イデア論は無意味に物事を2倍に増やしただけだ
りんごを見たときに、りんごのイデアを持ち出して一体何になる?
そんなことをするよりも、物事を観察して特徴を整理する方が有用性が高い
ホッブス:1588~1679年、イギリス
社会契約説の人
国家とは、自己中心的な人間たちが互いに殺しあわないように、自己保存のために作った組織である
他者を殺す自由を放棄した見返りとして安全を得る
すなわち、国家とは個人の自由を放棄して手に入れる、安全保障システムなのだ!
この安全保障システムは、リヴァイアサン(聖書に出てくる怖い獣)みたいなものである
ルソー:1712~1778年、スイス
人民主権の人
民衆は国家がなくても生きていけるが、国家は民衆がいなくてな生きていけない
真の権力者は王ではなく、民衆である!
アダム・スミス:1723~1790年、イギリス
国富論の人
個人が自分勝手に利益を追求しても、必ず「見えざる手」に導かれて、社会全体の利益につながる結果となる
マルクス:1818~1883年、ドイツ
社会主義の人
資本主義とは「資本家(ブルジョワジー:搾取する側)と労働者(プロレタリアート:搾取される側)という身分階級を作るシステムである
神様とは何か?
エピクロス:B.C.341~270年、ギリシア
快楽主義の人
気持ち良いことをして、楽しく生きよう(※)
※ここで云う「気持ち良い」とは、苦痛が取り除かれた「普通の状態」のことであり、決して一過性の快楽を追い求める意味ではない
イエス・キリスト:B.C.40年?頃、パレスチナ
アウグスティヌス:354~430年、アルジェリア
キリスト教の教義統一を成し遂げた人
懺悔的協議により「努力による自己救済」を否定し、誰もが実践可能な「大衆の宗教」としての布教に尽力した
トマス・アクィナス:1225~1274年、イタリア
「キリスト教の神学 VS アリストテレスの哲学」に折り合いをつけた人
理性でも解けない問題は必ずある
それこそが信仰の世界の守備範囲である(哲学よりも神学はひとつ上の抽象度の世界である)
ニーチェ:1844~1900年、ドイツ
超人思想の人
神とは、弱者のルサンチマン(恨み・妬み・嫉み)が作り出した幻想である
現実世界で勝てないから、精神世界で勝とうとするのである
超人思想とは、強くなりたいという意思を自覚し、「神という絶対的な価値観」や「道徳という模範的な価値観」が失われた世界でも堕落することなく、自分自身で生きるべき価値観を作り出していける人のことを云うのだ!
存在とは何か?
ヘラクレイトス:B.C.540~480年、ギリシア
万物流転の人
万物は変化する、存在も変化する
パルメニデス:B.C.515~450年、イタリア
万物不変の人
万物は変化しない
りんごはどこまでも切ってもりんご、消えたように見えても消えない
デモクリトス:B.C.460~370年、ギリシア
原子論の人
すべての存在は、原子という単位の組み合わせからできている
ニュートン:1642~1727年、イギリス
科学の神様
月もりんごも一緒なのでは?の着想から「物質がどう動くか?」の理論を作った
バークリー:1685~1753年、アイルランド
存在とは知覚されること
「りんごがあるからりんごが見える」のではなく、「りんごが見えるからりんごがある」なのである
フッサール:1859~1938年、オーストリア
現象学の人
すべては「水槽の中の脳が見せられているイメージ」かもしれない
誰もそれを否定できないのだ
だとすれば、現象(意識体験)からどのような思い込み(人間の判断)が作られているかを考えるしかない
ハイデガー:1889~1976年、ドイツ
存在論の人
「存在を問いかける人間とは一体何か?」についての本が未完のまま終わる
「存在なき存在論」と揶揄される
ソシュール:1857~1913年、スイス
近代言語学の父の人
言語体系の違いとは、すなわち区別体系の違いである
「物があるから、それに対応する語が発生した」ではなく、「区別する必要があるから、その区別に対応する言葉が発生した」と考えられる
あなたが見ている世界とは、あなた特有の価値で切り出された世界である
存在も同様で、その存在に価値を見出す存在がいてはじめて存在するのである
〆
コメント