松尾芭蕉「おくのほそ道」を読む

日本語へのこだわり。そんな矜持を感じる作品であった。松尾芭蕉の「おくのほそ道」のことである。

「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」。「奥の細道」だと14世紀の紀行文と名前が重複するためか、奥州街道の「奥の大道」と対比されることを避けるためか、あるいは単に平仮名のほうが柔らかい印象になるためなのか。今となってはその理由を松尾芭蕉にただすことはできない。

「月日は百代(ひゃくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。」そんな名文ではじまる紀行文。作中に折り込まれる多数の俳句も名句揃いである。

  • 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡
  • 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声
  • 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

俳句は宇宙。不易流行、風雅の誠。俳諧の本質は旅の中にあり。

昔、若かりし頃に東海道五十三次を歩いたことがある。京都の三条大橋から出発して、桑名までおよそ十二次を3日で歩いた。それ以上は、体力的な問題よりも、退屈さの問題で、歩き続けることができなかった。1日60km近く歩く作業というのは、とてつもなく暇なのだ。旅人が土地折々の人に声をかけたくなる気持ちがよくわかる。特に鈴鹿の山あたりで野宿した際は、夜7時頃にはあたりは真っ暗になり、何もできず、身動きも取れず、暇で暇で朝がくるのが待ち遠しかった。

思えばこの時、俳句でも詠めばよかったのだ。

徒士の長旅には俳句はなかなか便利な退屈しのぎだ。松尾芭蕉も俳句がなかったらこんな旅は耐えられないだろう。

それにしても、桑名で電車に乗ったときは、その移動速度の速さに笑ってしまった思い出。歩きの旅は、歩いても 歩いても、遅々として進まない。

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