映画「君の膵臓をたべたい」を観て「どんな映画だったっけな?」と思ったので、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」を観ました
久しぶりに鑑賞して思った感想は「なんだ、結構良い映画じゃないか」でした
映画の感想
そんなに印象に残っていなかった映画だったけど…
2004年に大ヒットして所謂「セカチュー現象」を巻き起こした本作品
ヒット作という印象は強く残っていたものの、作品の内容自体はそこまで印象に残っていませんでした
しかし、2020年現在に観返してみると、なかなか味のある良い映画だと思いました
良い点をいくつか挙げてみたいと思います
森山未來が良い
なんと云っても、主人公を演じる森山未來が良いですね
彼の演技ってなぜか自然体に見えるんですよね
格好良くフィルムに映ろうとしない感じも好きです
所謂イケメン俳優じゃないからそう感じるのかもしれませんが、田舎っぺ高校生感が妙にリアルです
もちろん、若さ弾ける長澤まさみの魅力は云わずもがなです
引きの絵が多い
映画全体を通して引きで撮影している場面が多いように感じました
というか最近の映画がズーム撮影が多すぎるということかもしれませんが
俳優の魅力を目一杯に伝えたいならズームも良いかもしれませんが、ズームばかりだとなんか人間の魅力に対する感覚が麻痺してくる気がするんですよね
濃い味付けの料理ばかり食べていると、和食の出しの旨みなどの繊細な味覚が麻痺してくる感覚に似ているかもしれません
引きで撮影すると、どうしても空間が空くので哀愁が漂うというか、空いた空間に存在する物体が勝手に演出してくれるというか、薄味要素が追加されて表現がより繊細になる気がします
本作品はそういう薄味の良さを感じました
構成がわりと複雑
「恋愛映画だからどうせ単純な話でしょう」と思いがちですが、割と構成は複雑です
カセットテープのウォークマンを時を越える装置にして、過去と現在の人物を対話さたり、冒頭では意味不明な婚約者(柴崎コウ)の行動が次第に判明していったり、話の筋だけでも充分楽しませてくれます
勿論、点と点を強引に繋ぎに行っている部分も多々ありますが、そこも含めて楽しめます
特に長澤まさみがスキンヘッドになってからの森山未來の暴走ぶりには唖然としてしまいますが、そこで興醒めしてしまうのか、一段とギアを上げて作品世界に没入するのか、ここは視聴者側の力量でもあると思うのです
世界の中心で、灰をまく
今回改めて思いましたが、本作品中では誰も世界の中心で愛を叫んでいません
主人公はあくまで世界の中心(オーストラリア・ウルル)で、恋人の遺灰をまくだけです
原作者の片山恭一は「恋するソクラテス」という題名を考えていたようですが、もっとキャッチーなものにということでハーラン・エスリンのSF小説、または新世紀エヴァンゲリオンの最終話タイトルである「世界の中心で愛(アイ)を叫んだけもの」からヒントを得て「世界の中心で、愛をさけぶ」としたのでしょう
まぁ、嘘はよくないということで「世界の中心で、遺灰をまく」にしたらヒットはしなかったでしょうね…
セカチューの思い出
内容には全く関係ないのですが、2004年当時、けいやは寮生活を送っていました
寮にはテレビがなく、外界の情報が手に入る手段は共用スペースに置かれた新聞のみ
新聞の投書欄か何かに「セカチューブーム」と書いてあったのですが、何のことか全くわからない悲しい状況でした
「セカチューって何?」
「さぁ、新発売のチューハイじゃない?」
とズレた会話を寮のみんなとしていたのが思い出されます〆
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